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上野の森の春日大社

東京国立博物館で「春日大社 千年の至宝」展が来週末までというので出かけました。

バスに乗りJRの駅まで行き、電車に乗ったのですが、向かいの席に座った老夫婦がこちらを微笑ましそうに見ているのです。なぜだろうと隣の席の女性を見ると今年よく見かけるフェイクレザーのライダースジャケットを着ており、俺は革のカーコートを着ているので、見方によってはペアルックに見えるのでした。

久しぶりに電車に乗るとこんなことも起きるものなのんですねぇ。

上野について、博物館への道すがら並木に桃色の花が咲いています。スマートフォンで写真を撮っている人たちや、花の形をよく見ようと目を凝らす人たちはまもなく咲くソメイヨシノの夜桜見物の酔客のような傍若無人さは微塵もなく実に上品なのです。その花は寒緋桜なのですが、鈴なりの花の下にいるとポトポトと花が雨のように落ちてくるのです。風もなく穏やかなのに随分とはかない桜なのだなぁ、と切なく思っていると花を落としている悪戯者がいるようです。一輪一輪むしっては、次々と花を落としていくのです。

その正体は緑色の三羽のインコでした。花をくわえて蜜を舐めているのか、むしっては噛んで落とし、を繰り返しています。とても熱心に花をむしっているのでインコもまた春の訪れを喜んでいるのだなぁ、と考えると怒る気にもなれずに「人間が見て楽しむくらいは取っておくのですよ」と声をかけて桜並木を後にしました。

東京国立博物館は、行列するほどでもなく、絵巻や刀剣、兜などゆっくり見ることができました。贅沢で凝った意匠に緻密な細工はどれも素晴らしいものでした。春日大社には常陸国から鹿に乗って神様がやって来たという伝承があるためとても鹿を大切にしていますが、甲冑などには鹿革が使われており、それはそれこれはこれという人間の容赦の無さも見てとれて妙なところで感心してしまいました。

音声ガイドでさだまさしの話などが聞けるために、普段の展覧会に比べて首からガイドの機械をぶら下げている人が多いのもおもしろく思えました。

帰る途中、せっかく上野に来たのだからと上野精養軒でステーキとエビフライの定食を食べました。西洋に学び、並ぼうとしていた頃の日本を舌で感じ、当時の人が現代の日本を見たらなんというだろう。政府によく飼い慣らされた家畜の群れと思うか、それともなかなかに平和で文化的な生活を満喫できる良い社会と見るのだろうか、などと思いを馳せてみたりするのです。

心を動かすためにも、人が集まる場所に出かけ、集まる原因を確かめ、人を見るというのは有効な手段だと改めて思う週末でした。